妊娠7ヶ月目で【口唇口蓋裂】と宣告

妊娠7ヶ月目の検診で突然の宣告に時が止まりました。

そんな宣告後の私の体験談とその後をお伝えします。

突然、【口唇口蓋裂】って言われても。

2011年の春。東京。

私は、3人目の妊娠がわかりました。

その後、順調にお腹の子は育ち、自宅近くの産婦人科に通院していました。

ところが、2011年の秋の出来事は突然やってきました。

妊娠7ヶ月目になり、その日もいつも通りに受診に行きました。

上の子、2人の時も里帰り出産をしたため、

3人目も里帰り出産を希望していました。

飛行機に乗れる前までに

紹介状を書いてもらわなきゃな、と。

あと少しの通院になるなぁ・・・と思いつつ。

そして、いつも通りに副院長先生の診察。

超音波検査中。(エコー検査)

先生は何度も何度も私のお腹の上をローラーを転がし

ん・・・? いつもより長い・・・?

なんだか緊迫した空気を感じ、、、

ん? なになに?

すると、まさしく、ドラマの中のような言葉が

『・・・お伝えしないといけないことがあります。』

えーーーー!!! 

なんだろう・・・ 

なんだろう・・・

私の頭の中は、なんだろう?なにが起きてるの?と

不安不安不安、頭の中は不安でいっぱいになり・・・

準備を終わらせ、いざ、先生の話。

『この子は口唇裂(こうしんれつ)かもしれない。

『もしかしたら、口蓋(こうがい)もあるかも。』

え ? 

こ う し ん れ つ ・・・? 

こうしんれつ。。。

初めて聞きました。。。

すると、先生は説明してくれました。

赤ちゃんの顔は最初は3つに分かれていて、

それがくっついてできるんだけど。

でも、この子の場合は、うまくくっつかなかったみたい。』

と、画像を見せてくれながら、説明してくれたのです。

説明が終わったあと。

次に先生から告げられたのは、、、

『うちの病院ではもう診れないので、病院を紹介します。』

大学病院を2カ所のうちどちらがいいか聞かれるも。

私の頭の中はパニック状態。

がしかし、その場ですぐに決めなければならなかったので、

自宅からの距離が近い方の東京大学病院に決めました。

状況の把握もできないまま、

お会計で紹介状を渡され、

この自宅近くの産婦人科には最後の通院となりました。

普通に検診に来ただけなのに、もうその病院には通えなくなりました。

紹介状を手に病院から出た後・・・

呆然とする私・・・

頭、真っ白・・・

え? なんのこと? よくわからないんだけど・・・

まず私がやったことは、

携帯で【こうしんこうがいれつ】と入力し、

いざ、検索。

すると、たくさんの画像がでてきました。

私は、恥ずかしい話ですが、【口唇口蓋裂】というものを

知りませんでした。

画像をみて正直びっくりしてしまいました。

こういった顔の形成でうまれてくるのか・・・

受け入れなければいけないのですが、

なかなか現実を把握することができませんでした。

どんな症状なのか自分で確認した後、夫に連絡しました。

連絡をもらった夫も、おそらく携帯で検索して

びっくりしたことだと思います。

【口唇口蓋裂】

当時、調べてみたところ、

アジア人に多く、500人に1人の割合で発症しているようです。

小学校に1人いるかいないかくらいだそうです。

けっこう発症しているんだな、でも、

なんで、私に・・・

無事にうまれてきてくれるのか・・・

うまく形成できなかったみたいでごめんね・・・

私の食べ物が悪かったかな・・・

私がイライラしてしまってたのが悪かったかな・・・

私の生活態度が悪かったのかな・・・

遺伝なの?遺伝じゃないの?

遺伝だとわかった方が気持ちがラクになる・・・

とにかく原因が知りたかったです・・・

当時は、

不安不安不安の言葉しかなかったと思います。

今の私から当時の私へメッセージを伝えてあげたいです。

『大丈夫だよ。何も心配しなくて。』

と。

知識がなさすぎたため、

紹介された東京大学病院の受診までは、

不安な日々を過ごしました。

そんな思わぬ宣告をうけた日は、アタフタとした1日となりました。

次の記事ではその後をお伝えします。

    

コメント

タイトルとURLをコピーしました